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老報記001:この10年で葬儀参加者は半減に(AERA DIGITAL)

《老報記》は注目のWebメディアから「老いとその先について」書かれた記事のなかから、人生と終末期、葬儀、お墓のことなどをテーマにした注目のものを抜粋してお届けするブログページ。初回は次の2メディアからピックアップしてみました。

  1. AERA DIGITAL(2025/05/06)
    葬式の平均参列者数は10年間で38人と半減。超高齢の故人の子も60歳以上の定年で親族だけに。
  2. THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)SGO編集部(2026.2.28)
    家族葬でいい…〈月収42万円・57歳長男〉、88歳母の願いを叶えただけなのに、
    葬儀後に漏らした「浅はかでした」という猛省の理由

AERA DIGITAL(2025/05/06)

葬式の平均参列者数は10年間で38人と半減 
超高齢の故人の子も60歳以上の定年で親族だけに

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AERA 電子版の記事は昨年2025年のものですが、今日の変化した葬儀のカタチを端的に捉えた内容になっています。記事は死生学研究の第一人者でもあるシニア生活文化研究所代表理事の小谷みどりさんが、現代社会の「死」の捉え方を浮き彫りにした書籍《朝日選書『〈ひとり死〉時代の死生観』(朝日新聞出版)》を要約したもので、特に葬儀参列者の減少について、その理由を深掘りした内容になっています。

葬儀参列者が減りつつあることは、今から20年前の2005年の調査でも、回答した葬儀社の2/3を占めており、2020年にはおよそ9割近くになっています(下図)。


次に平均葬儀参列者とこれが減少する推移を年毎に見てみましょう。2013年には80人近くいた参列者が10年後の2022年にはちょうど半減していることが見て取れます(下図)。


この半減の理由を、ここでは大きく2つの要素に分けて説いています。

1つは、日本人の平均寿命が女性:87.14歳、男性:81.09歳(2023年)という世界トップクラスの長寿国になっていること。これにより、故人の関係者や親戚に参列していただくことも困難な状況にあります。2つ目は、このことと関連して、残された遺族、故人の葬儀を取り仕切る喪主の年齢もすでに高齢化。一昔前とは違ってとっくに現役を退いているケースが多く、社会との付き合いも希薄化していること。従って、遺された世代としても葬儀に参列していただくほどの関係者も少なくなって来ているのが現状です。

とは言え、世の中が一挙に「内輪だけの葬儀」とはならず、その規模や参列者は縮小されながらも、従来型の「一般葬」が全体の3割(*出典:お葬式に関する全国調査/2015-2924年/鎌倉新書より)をカバーしているのは、戦後の冠婚葬祭に長らく見栄と世間体が重視されてきた結果であると、小谷みどりさんは考えているようです。とりわけ、時代の空気に支配されやすく、他者の気持ちを気にしてしまう日本人には、見栄と世間体という硬い殻を破るのは大変なようです。
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◉詳しくはコチラ(参照元:AERA DIGITAL)をご覧ください

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)SGO編集部(2026/02/28)

家族葬でいい…〈月収42万円・57歳長男〉、88歳母の願いを叶えただけなのに、
葬儀後に漏らした「浅はかでした」という猛省の理由

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冒頭のAERA 記事のように近年主流となりつつある「家族葬」ですが、これまでの社会的慣習をいわば消去する様式ともなるため、この新しいスタンダードには、従来は思いもつかなかった課題やトラブルが散見されることもあります。THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)の記事は、この課題をピックアップしたものですが、個人的にはタイトルにある「浅はかでしたという猛省の理由」という表現はかなり誇張されているように思えます。

「家族葬」だけではなく、一般的に葬儀を執り行った後になって、葬儀の内容や予算、関係者への対応など、喪主(遺族)として反省することは多々あるものです。当ブログ《後悔しない葬儀のためには、事前の調べを》にも詳しくまとめていますが、私たち普通の人が執り行う葬儀には完璧なものとするのは、なかなか難しいものがあります。

葬儀は一般に、故人や遺族という直接の関係者が様々な考えや意向をまとめながら、短い限られた時間のなかで葬儀の様式・内容を決めて式に臨むことになるのが実際です。特に滅多にはない経験でもあることから、後になってからの反省は多くの遺族が思うところでもあり、むしろあって当然とまでは言わなくても、仕方のないことかもしれません。下の2つのグラフは先日のブログにも添付したものですが、この下のグラフでは、葬儀の後で「こうすればよかった」と後悔した人はおよそ2割に及んでいます。



それでは、後悔した内容はどんなものだったのでしょうか。下図のように費用をはじめ、広い分野にわたっています。それぞれの項目に、無理からぬ事と理解できる気もします。



ここで、THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)の記事に戻りますが、遺族が「浅はかだった」と後悔したのは生前の故人の交友関係や親戚付き合いが思ったよりも広くて深いものだったのに気付かなかったこと。もちろん、内輪だけの家族葬で執り行いたいとは故人が望んだことであり、遺族も納得の上で故人の思いを叶えてあげることを優先したわけで、このこと自体を責めることはできません。

一昔前のように世間体や遺族としての見栄を重視した葬儀の社会的な側面は、次第に失われようとしており、今では故人の希望や遺族の意向を主に反映する葬儀様式がスタンダードとなりつつあります。葬儀の主体は故人や遺族にあり、その周囲の人びとのためのものではないという当たり前のことが当たり前になってい流のです。

家族葬を執り行った後で「最後のお別れをしたかったのに」とか「なぜ葬儀の知らせをくれなかったのか」など、周りからの声は、故人を偲ぶ気持ちがあるからこそ発せられるものです。遺された者としては、むしろその気持ちの一つひとつを有り難くいただき、その事情を出来るだけ説明することで、納得していただくことに務めるしかありません。「浅はかだった」と自らを責める必要は全くないのです。

また、記事では葬儀の後に「バラバラにやってくる弔問客への対応」や「香典返しの手間と費用の増大」という予想外のことに時間と手間を費やしてしまったと、紹介されていますが、これも故人を弔おうとする気持ちがあっての弔問です。弔問客への対応がそれほど手間であり、苦痛なのでしょうか。むしろ、申し訳なさから真摯に対応させていただくことで、故人への想いを共有することの幸福感の方が勝るのではないかと思われます。

私事になりますが、20年ほど前に父が亡くなり、その当時田舎では町内会や隣組などの地域の共同体がまだ残っていたこともあり、多くの人々が参列する(今で言う)「一般葬」を執り行ったのですが、それでも後から訪れる弔問客が多く、当時はまだ元気だった母が、甲斐甲斐しくその対応に当たってたことを思い出します。

予想外とはいえ「バラバラにやってくる弔問客への対応」や「香典返しの手間と費用の増大」に時間と手間を費やしてしまったと、不満をいうことはなく、むしろ逆に、母も知らなかった故人の交友の広さに感心している風でもあったのです。
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◉詳しくはコチラ(参照元:THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン))をご覧ください

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この記事を書いた人

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記憶葬マネージャー < 心から故人を弔い偲ぶ《Web告別記|記憶葬》の更新に努めています。

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